2018-03-06 第196回国会 参議院 外交防衛委員会 第2号
喜屋武悦子校長からは、米軍機には小学校上空を飛ばないでほしい、各方面の方々のお力添えをいただきたい旨の要望が述べられました。 第二日目は、まず、沖縄県庁を訪問し、翁長沖縄県知事と懇談を行いました。
喜屋武悦子校長からは、米軍機には小学校上空を飛ばないでほしい、各方面の方々のお力添えをいただきたい旨の要望が述べられました。 第二日目は、まず、沖縄県庁を訪問し、翁長沖縄県知事と懇談を行いました。
○田村政府参考人 今お尋ねになりました、一九八七年三月二十五日に喜屋武議員から那覇空港の民間空港専用化に関する政府の考え方について質問主意書が出されて、それに対しての回答というのは、今まさに穀田先生がおっしゃったとおりのことであります。
一九八七年四月二十一日に提出された、喜屋武真栄議員が提出した質問主意書の政府答弁では、「現在のところ那覇空港の共用をやめる考えはないが、一般論としては、自衛隊の使用する飛行場と民間の使用する飛行場は分離されていることが望ましいと考えており、その意味で、那覇空港についても、この問題を長期的には検討することはあり得ると考えている。」 この政府答弁というのは確かですね。
金城さん、海老原さん、喜屋武さん、儀保さんの四方が受けておられますが、金城さんの訴訟に対する判決による賠償金額は六千二百万円、米国の支払いは、その四〇%である二千五百万円となっています。海老原さんの訴訟では、三千六百六十三万円の判決に対し、米国の支払いは、その一五%の五百五十六万円。喜屋武さんの訴訟では、二千六百万円の判決に対し、米国の支払いは、その一六%の四百二十五万円。
金城さん、海老原さん、喜屋武さん、儀保さん、これにございます。実際に事故が発生しても、これは裁判結果が出たんですが、この支払いを見ますと、例えば海老原さんなんかを見ますと、SACOの支払いで日本が三千百七万円、米国側の支払いが五百五十六万円です。こういう、要するに、ほとんどやはり日本側が負担している。この現状についてどう思われますか。
私の体験上から申し上げますと、昭和三十年代に、実は沖縄復帰運動に学生として取り組んでおりましたときに沖縄県に参りまして、当時の教職員会は、会長は屋良朝苗先生、事務局長が喜屋武先生でございまして、当時、まだ米国の施政権下にありまして、日の丸を国旗として掲揚することが許されざる状況でありまして、祝祭日等に当たりましては、紙に書いた日の丸を一本のみならず一家に数本上げて祖国復帰を願ったという心情も私は承知
神戸市の非核条例をめぐりまして、この非核三原則をめぐって、自治体の非核三原則、神戸市がいわゆる非核証明書を求めるということについて、むしろ自治体としては一生懸命やっているではないか、国はもっと非核三原則に基づいていろいろやるべきではないかという、そんなやりとりがこの三月十七日、そしてまた三月二十八日も予算委員会で同様な質疑がされておりまして、三月十七日のときには共産党の立木議員が、そして二十八日には喜屋武議員
ただ、二十八日のこのときのやりとりの中では、この神戸市議会の方式は全国の地方自治体にいわゆる通用するものであり、このように理解するという中でのやりとりを喜屋武さんは中曽根さんに質問して、中曽根さんは神戸に限らず国と地方自治体のあり方で明確に答えているわけです。違うんですよ、理解が。首をかしげられている。私は頭が悪いんですか。総理、お答えください。
三月二十八日の喜屋武さんのこれまた再度の同様な質問に対して、「自治体がみずからの意思に基づいて自由におやりになることについて、私は中央政府としてとやかく言うべきことは差し控えた方が賢明だと、そう思っております。」と、こうまで明確に言っています。とやかく言うことは差し控えた方がいいと。とやかく言い過ぎるんじゃないですか。いかがですか。
当時、返還運動の中核になっておりましたのは沖縄教職員会会長屋良朝苗先生であり、そのときの事務局長は、お亡くなりになられましたが、本院にも所属された喜屋武先生でございました。
昨年の十二月二十四日、橋本総理との会談で、海上ヘリポートを私は受け入れる、同時に市長を辞任することを表明する、国益は県益、県益は市益であり、市益は県益、また国益に通じる、私の尊敬している喜屋武眞榮先生は国土の〇・六%の県土に米軍基地の七五%が集中するこの沖縄の現状を、小指の痛みを全国民がわかってほしいと訴えられた、普天間の周辺の人々はまさに長い間小指の痛みに苦しんできた、海上ヘリポートは普天間の周辺
○山本(孝)委員 局長、私の質問を知っていて理解をしていただいていないんだというふうに思いますが、直近のもので見ても、参議院議員の喜屋武先生が質問主意書を六十二年にお出しになって、なぜ位置確認もしていただけないのだろうかということをお聞きになっているわけですね。
○山本(孝)委員 対馬丸遭難者遺族会の喜屋武会長の御希望としては、引き揚げは不可能であることは理解をするけれども、ぜひ、いろいろ技術が発達をしているので、この船体内部の調査等を機械等を使ってでもやっていただきたいという気持ちがあります、一番の気持ちはやはり引き揚げですというふうに強くおっしゃっておられますということを私からもお伝えをさせていただきたいと思います。
ます最初に、対馬丸の問題を御質問させていただきたいのですけれども、平成八年の十一月に初めて私も遺族会の会長であります喜屋武会長から対馬丸の要請を受けたわけであります。そのときに、喜屋武会長のお話を聞きますと、沈没地点が四カ所あるのだ、そしてこの四カ所の地点で順番で慰霊祭をやってきたけれども、どうしても気持ちが伝わらない、だから沈没地点をはっきりと確認してくれ、そんな要請でありました。
次に、元議員喜屋武眞榮君逝去につき哀悼の件でございます。議長は、既に弔詞をささげた旨御報告の後、弔詞を朗読されます。その際、一同御起立をお願いいたします。 次に、常任委員長辞任の件でございます。逓信委員長谷本巍君申し出の委員長辞任を許可することを異議の有無をもってお諮りいたします。辞任が許可されますと、逓信委員長の選挙を行います。
平成九年九月二十九日(月曜日) 午前十時一分開議 ○議事日程第一号 平成九年九月二十九日 午前十時開議 第一 議席の指定 第二 会期の件 第三 国務大臣の演説に関する件 ————————————— ○本日の会議に付した案件 一、日程第一 一、元議員喜屋武眞榮君逝去につき哀悼の件 一、常任委員長辞任の件 一、常任委員長の選挙 一、特別委員会設置の件 一、日程第二及
○議長(斎藤十朗君) さきに院議をもって永年在職議員として表彰されました元議員喜屋武真栄君は、去る七月十六日逝去されました。まことに痛惜哀悼の至りにたえません。 同君に対しましては、議長は、既に弔詞をささげました。 ここにその弔詞を朗読いたします。
そして、屋良さんと喜屋武真栄さん、この前まで参議院議員、当時は沖縄教職員会の会長さんをされておられましたけれども、三人で車に乗って沖縄の北から南まで演説をして歩いたものであります。戦後の厳しい沖縄の実態、そしてようやくかなった本土復帰も、沖縄県の人々の意思と希望を踏みにじる形でしか実現しなかったという現実と、人々の怒りと悲しみを直接見てきたのであります。
喜屋武真栄さんがこれも教職員会で参議院に当選したわけだから。そうでしょう。そういう状況ですからね、沖縄というのは。 教職員会が自衛隊の皆さんの子供が学校へ行くのを認めないと言うのだから、肯認できないのですから。だから、みんなで沖縄に行って、核抜き本土並みで懸命にやるのだ、沖縄振興法もつくるのだ、金も出すのだと。だから、我々は、本土へ来て空になって帰る船は泥を積んで行けと言っているぐらいだ。
はっきりと沖縄の人は、例えば、基地の整理縮小と言うにはほど遠い、この内容では到底納得できない、北中城村の喜屋武村長ですか、こんなものは返還が既に確認されているものを蒸し返しただけに過ぎぬ、逆にそんな抗議の声が出ているぐらいですから。 あと問題は、三事案というものですね。この三事案が、私も現地に行って見てきて、那覇の軍港の撤去なんというような問題は、これはもう随分昔からの問題ですね。
国会議員として二十四年の長きにわたり在職されました喜屋武眞榮君、原文兵衛君、安永英雄君及び野末陳平君に対し、永年の功労を表彰することといたしたいと存じますが、御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
国会議員として二十四年の長きにわたり在職されました前議員喜屋武眞榮君、原文兵衛君、安永英雄君及び野末陳平君に対し、永年の功労を表彰することについて異議の有無をもってお諮りいたします。 次に、田沢智治君外七名発議に係る中国の核実験に抗議し、フランスの核実験に反対する決議案(委員会審査省略要求事件)でございます。
○喜屋武眞榮君 私は、四名の参考人の方々に同じ質問を一問だけお伺いいたします。 と申しますのは、今後本改正法が施行された場合に、運用上特に留意すべき点ほどういうところだとお考えなのか、それぞれお一人三分以内で御所見をお聞かせください。お願いします。
稲村 稔夫君 委 員 井上 吉夫君 北 修二君 吉川 芳男君 大渕 絹子君 竹村 泰子君 谷本 巍君 林 紀子君 喜屋武眞榮君